母子分離不安 登園拒否になった時の長男のこと
この時期になると、いつも登園拒否になった長男のことを思い出します。不安が強くずっと母子分離不安でこの子はいつになったら私から離れることが出来るんだろう…。とずっと心配でした。
5歳になった現在でも気持ちが不安定なときや、はじめて行った場所などは苦手で親にべったりです。
登園拒否になった時の家での様子
幼稚園で随分とストレスをためて過ごしていたフユタ。朝、行きたがらないフユタを無理やり引っ張って連れて行っていました。
夜は嫌な夢を見ているのか夜泣きして、朝起きた瞬間から目覚めが悪く酷い癇癪を起こしていました。
登園時間になっても家から出ないと抵抗が凄くてあの手この手で何とか幼稚園へ送り出す毎日。迎えに来た私の顔を見ると大泣きで怒りを露わにし、帰宅後も機嫌は直らず私に八つ当たり。
私はこんな毎日が辛過ぎてどうやって過ごしていたのか記憶にありません…。
毎日悩み、フユタが寝た後や仕事の合間に何か解決策は無いか調べては試す日々を送っていました。
登園拒否の解決策
正直に申し上げますと、これをやれば解決するよ!という明確なものは無いと思います。子どもが抱えている問題を解決することだと思いますが、それは本人の口から聞かないと親にはわかりません。
当時フユタは3歳。言葉も遅く会話もぎこちないフユタは自分の思いを私に伝えることが出来ませんでした。
成長した今でも、園でどう過ごしているのかあまり家では話しません。そうなると原因を探ることってなかなか難しいですよね。
フユタのストレスを少しでも無くす為に私が心がけた事は、帰宅後は家ではなるべく怒らないことです。もう幼稚園生活でいっぱいいっぱいなのに家でも色々求めてしまうと逃げ場がなくなってしまいます。
それでも私だって人間。うまく感情をコントロールできず怒ってしまう事も多々ありました。
気分転換に降園後2人で少し遠くの公園へ行ったり、好きなオヤツを用意しておいたりフユタが喜ぶ事を沢山考えました。
フユタは毎日毎日怒って泣いていましたが、私は単純にフユタと過ごす時間をもっと楽しく過ごしたかったのです。
しかし、
優しくしても
怒っても
面白い事を言っても
何をやっても登園拒否は変わらないし
フユタの機嫌の悪さも変わりませんでした。
私も限界で、何で私の息子だけこうなの?と人知れず泣いてしまう日もありましたし、幼稚園には行かなきゃいけないの!!ママに八つ当たりしないで!!と怒ってしまう日もありました。
最終的に、我が家は幼稚園の担任とよく話し合いサポートしてもらう事で少しづつ緩和していきました。
登園拒否の理由 長男の気持ち
3歳になったからと、いきなり何の気持ちの準備もなく幼稚園に放り込まれたフユタの気持ちを考えてみました。(本人に話は何度もしていたけど、実際に見学に行ったり園解放へ行ったりしてませんでした。)
ただでさえ母子分離出来ないのに、知らない場所で知らないお友達と一緒にされ嫌な事が沢山あったと思います。
幼稚園での様子、詳しくはこちらをご覧ください。
園では1人で隅っこに座り息を潜めて過ごし、みんなが簡単に出来ることは、頑張っても出来ない。頼れる大人も少ない。
朝園の門から教室まで1人で歩いていかなければいけなくて、教室に先生はいません。元気なお友達が戦いごっこをしています。ぶつかったりして痛い。
嫌ですよね。
担任の先生にはあれが出来ない、これが出来ないと言われて私は出来ないのは私が適当な育児をしてきたせいだと追い詰められ、フユタに練習を強要しました。何でやろうとしないの!?と悲しくなり2人で泣きました。
凄く辛かったと思う。嫌がりながらもよく毎日通っていたと思う。あの時もっと気持ちをわかってあげれば良かった。私の育児はいつだって後悔ばかりです。
もしかして二次障害?
ネットで長男の様子を検索すると、反抗挑戦性障害という言葉が出てきました。その名の通り、何を言っても反抗し攻撃的になってしまうADHDの二次障害に多い病気です。
うまくいかない幼稚園生活にストレスをため、自己肯定感が下がり二次障害に発展していたのかもしれません。
診断が下りた後医師にフユタの状態を相談しましたが、エビリファイと言う精神薬を出されて特にアドバイスも無く終わりました。
エビリファイは眠くなってフラフラになるだけで、フユタには何の効果もありませんでした。誰か私たちを助けて…そう思ってもその時は相談する場も無くフユタと2人でもがき苦しむだけでした。
退職と転園
最終的に私たちが解決した方法、それは私が仕事を辞める事と保育園へ転園する事でした。もう仕事との両立が出来ないと諦めて、仕事を辞めたいと相談している時に次男妊娠がわかりスムーズに退職と転園ができました。
転園後は一度も行き渋りさえもありません。
大事だった事、それはフユタの性格を理解してサポートしてもらう事でした。先生が足りなくて園長に理解が無いあの幼稚園には望んでも無理だった事です。
そして何より親の私の心の余裕が無かったせいだったのかな。転園前に原因不明の発熱を1ヶ月繰り返したフユタ。もう仕事も休めないからと熱が下がったらすぐに登園させていました。
するとその日の夕方には熱が上がるというのを繰り返していたのです。本当は、ゆっくり休ませてあげたかった。この時にもうこの仕事は続けられない。と思い辞めることを決めました。
当時の私の仕事。個人事業主なので休むことが難しかったです。
さいごに
私はたまたま仕事を辞める事ができ、転園も出来ましたがそんなに簡単な事ではありません。保育園に入るのも大変だし、生活があるから仕事だって簡単に辞められないでしょう。きっと出来ない人がほとんどですよね。
だから私たちが解決できた事は運が良かっただけなのかもしれません。あのまま幼稚園にいたら、どうなっていたのだろう。
これから新生活が始まり、フユタと同じ様に幼稚園に入園する子供達。去年はブカブカの制服を着た入園式帰りの子たちを見てみんな楽しく過ごせますようにと心の中でエールを送りました。
そしてもう二度と会えない、あのブカブカの制服を着たフユタを毎年思い出すんだろうな。